安寿の本棚

□ 陵辱涙 猫科の愛玩動物 (完結) □

8 底なる澱に




陵辱涙8 表紙

第八章 底なる澱に




「いくらだ?」
 そう尋ねながら、男はもう腰に腕を回して義也の体を抱き寄せていた。これだけ……と、声にならないかすれた応えを返して、指を一本立てる。男の呼吸から、張り詰めていた緊張の色合いが消えて行くのが分かった。
 表通りから公立の植物園へと続く鬱蒼とした木立。その木々のあいだを抜ける小径の、細かな砂利を踏む男の足音が、焦るように少し速度を増していく。
 男の手は義也の腰から、背中を撫で上げるように肩に移動し、脇の下にもぐりこんで胸元を探った。シャツの布地越しに、義也の乳首に穿たれたピアスの感触を見つけ出したのだろう。その指先が一瞬臆し、隠しきれぬ期待を表すように、じわり……と、ピアスを摘まみ上げる。
「……痛いよ」
 まだかすれていたが、なんとかその言葉を声にする。
「こんなモノつけてるのに、触られるのは嫌いかい?」
「そうじゃ……なくて……」
「ああ、もっと優しいのがいいんだね? 撫でるみたいに? それとも、舐めるみたいに?」
 男の声も、少し上ずっていた。
 義也は、うん……と、頷きはしたけれど、またしても声はかすれて喉の奥にわだかまってしまう。
 木々の枝の向こうにはネオンの光がちらちらと覗き見えている。小径の奥にある公衆便所に連れていかれるとき、義也はいつも視界の端にその瞬きを追っていた。その光は深い森の奥へ追い立てられていく不安をかき消して、ここがまだ都会の一部であることを教えてくれる。それにネオンの光を見ていれば、暗がりに聳え立つ熱帯温室からは目を逸らしていられた。
 鉄とガラスで形作られたドーム状の屋根と、捩れた尖塔を持つその構築物は、神代の家のあの門と同じように、どこか現実離れした威容で義也を圧倒していた。モーターの低い唸りが、夜のあいだも途切れることなく続いている。照明が消されても、温室の中には生ぬるく湿って、腐臭を漂わせる空気が満たされているのだろう。南国の植物の奇妙な造形。いくつもの見慣れぬ植物がその中でひっそりと揺れているのだと想像するだけで、義也は体の震えを抑えきれなくなってくる。
 重なりあういくつもの緑。
 その歪な葉陰に、人を獣に変えていくおぞましい意志が息づいているような気がするのだ。

 神代の家を飛び出して、もう二ヶ月は経っているだろう。だが義也の気持ちはまだあの柘榴模様の椅子の上に縛り付けられたままだった。
 昼のあいだはネットカフェや漫画喫茶……時にはドーナツ屋の二階席の隅で眠る。そして夜になると、ごそごそと動き出して客を探し、体を弄らせる毎日。
 植物園が閉園する午後六時を過ぎると、木立を抜ける小径にゲイの男たちがその場限りの関係を求めてうろつき始める。その中から金を払ってくれる客を見つけるのは難しいことではなかった。
 それでも、ジーンズのポケットには、いつもその日をなんとかやり過ごすだけの金しか入っていない。まとまった金を持っていても、地回りのチンピラに絞り上げられるだけだった。
 相変わらず何の味も感じなかったけれど、それでも腹は減った。着替えだって必要だ。男たちに遊ばせたあとはシャワーでもいいから体を洗いたかった。金が欲しいと思うとき、理由なんかいくらでも見つけ出せる。だから毎日のように……客を求めて夜の植物園に通った。
 帰る場所も行き着く先も、生きている理由さえ見つけ出せないまま、ネオンの瞬きの下でうごめく夜行性の愛玩動物――そんな生活に、義也は驚くほど簡単に馴染んでしまっていた。

「おいおい、はだしじゃないか。靴はどうした?」
 最初に体を売ったのは、そう声をかけてきた男に、だ。
 神代の家を出て闇雲に歩き続け、この植物園にたどり着いたとき。上着も羽織らず、はだしのままでとぼとぼと歩く義也に気づいて、手を差し伸べたのはその男だけだった。
「靴、買ってやろうか? 向こうでさ、ちょっと愉しんだあとに……。な? いいだろう?」
 男はそう言って、他の多くの客と同じように義也の腰に手を回した。
 その男が、押し黙ったままの義也のどこから了承の合図を見つけ出したのかは分からない。無意識のままに頷いていたのだろうか。それともその沈黙が――男の手を振り払うこともせず、触るなと拒絶することもしなかったことが――そのまま男の申し出を受け入れる合図だったのだろうか。
 思い出そうとしても、そのときの記憶は曖昧だ。
 男は義也を植物園の公衆便所に連れて行き、薄暗い個室で十分とかからずに事を済ませた。覚えているのは、何年か前にここで数人の男たちに関係を無理強いされた若い男が首をくくったという話だけだ。こんな風に関係を無理強いされたんじゃないか、こうやって首をくくったんじゃないかと胸糞の悪い邪推が、何度も繰り返されたからだ。その話で興奮を味わっていたのだろう。焦れったくなるような鈍重さで腰を使いながら、男は荒い息でずっとその話を続けていた。
 男はそのあと約束通り靴を買ってくれて、靴屋の店先で別れた。
(……何かが、毀れてる)
 去っていく男の背中を見送りながら、義也はそう感じていた。
 夜の植物園で義也を抱こうとするのは、そんな風に感じさせる男ばかりだった。平凡そうに見えて心のどこかに闇を飼っている男たち。彼らが夜の植物園を訪れるのは、その体の内に巣食う、どろどろした闇を吐き出すためなのかもしれない。
 だが佐竹に受けたような暴行にも、神代ほどの執拗さにも、めったに出会うことはなかった。変態的な行為や、手荒な行為を好む者もいたが、三十分も相手をすればたいていは満足して金を払う。
 薬を使いたがる客もいた。
 深夜になると、そういう手合いが増える。だがそれにも義也は抵抗しなかった。薬を使いたがる男たちは総じて金払いも良かったし、彼らとの行為なら義也も格段に楽しめた。
 父を破滅させた薬……。
 こんな場所に義也が貶められた理由だというのに、それを警戒する気持ちも嫌悪する気持ちも、どこからも湧き上がっては来なかった。もう義也も、父と何ら変わることのないジ ャ ン キ ーだった。
(俺も、毀れてる……の、かな……)
 男たちの欲望に身を任せながら、そう自嘲したくなることもあった。
(でも……だからって、何だよ。もうどっちだって……同じだろ)
 神代がこのまま見逃してくれるなんて、きっと甘すぎる期待だ。いや、そもそも逃げられてなどいないのかもしれない。あの家から飛び出したところで、今も義也は神代の手の内に囚われているようなものだ。
『きみは逃げないよ』
 まるで予言のように発せられた神代の言葉通り、義也はもはや男に媚びて尻を振る愛玩動物だった。そうしてより深く、暗いぬかるみに……ずぶずぶと沈み込もうとしている。

 父がどうなったかを確かめることも、義也にはできないままだった。
 父は仕事先の者たちとしかつきあいなどなかったし、その仕事は佐竹のいる組とも深く関わっている。連絡をとることも、以前暮らしていたアパートに近づくこともできなかった。そして、父のほかには頼れるような親戚も、知り合いも……義也には誰もいない。
 いや、父だって頼りにはならない。
 チンピラが義也の襟首を締め上げて肝臓を売れとわめき散らしていたときだって、佐竹がそのチンピラの前に義也を買うための金を積み上げたときだって、父は頼りになんかならなかったのだから。あのとき、同じ部屋に父も一緒にいたはずなのに、義也の記憶からはその姿はすっぽりと欠け落ちてしまっていた。
(親父は……何のために俺を育てたんだろう……)
 父と自分のつながりの不確かさを思うと、胸の締め付けられるような苦しさが込み上げてくるのを感じた。義也にはもう父に対して、靴を買ってくれたあの男程度のつながり、金を巻き上げるチンピラたち程度のつながりさえ見出すことができなくなっている。
 自分とつながりがあるのだと思えるのは、佐竹だけだ。
 だから深夜の植物園で、その日ひとり目の客と入れ違いに入ってきた男にいきなり背後から掴みかかられたとき、それが佐竹だと分かったのだろう。
「なんで……あんたが……」
 ろくに顔さえ見えなかったのに、そのにおいだけで義也は竦み上がっていた。
 心の底では分かっていたような気がする。
 追ってくるのは神代ではなく、佐竹なのだと……。
「久しぶりだな、小僧」
 苛立った佐竹の声に、義也は戦慄を覚えた。ぎらぎらと鈍い光沢を放つ力の存在が、肌を擦りむいて押し迫ってくる。
 日本最大級の繁華街であるこの街には、当然のようにヤクザが蔓延っているが、このあたりは佐竹の組の縄張りではないはずだ。いや、むしろここを根城にしているのは、佐竹たちとは威勢を競いあって、角を突き合わせている相手のはずだ。
「なんで……こんなところに……」
 組の内部では佐竹のやりたい放題を止められる者がいないのだとしても、ここでは違うはずだ。こんなところでチンピラたちの小遣い稼ぎの種である男娼を小突き回せば、佐竹だって無事では済むまい。だがそんなこと、佐竹は忘れ去っているようだった。頭に血が登って、我を忘れている。
(馬鹿じゃねえの)
 腕を背中のほうへ捻り上げられ、個室から引き摺り出されたときも、怖いと思うより思い切り嘲笑いたい気分だった。借金のカタに拾った小僧の尻を追いかけて危険を冒すヤクザなんて、聞いたこともない。
 それに……。
(馬鹿は、俺も同じか)
 そう思った瞬間に、義也は濡れたタイル貼りの床に突き倒されていた。息をつく隙もないほど繰り返し蹴りつけられて、悲鳴を上げながらも、義也はまだ自分を嘲笑うことをやめられなかった。
 神代ではなく佐竹が追ってくることを、どこかで心待ちにしていたのだという気がする。もう、実の父親にさえ見捨てられたのに、それなのに……佐竹だけが〈どこかの誰か〉ではなく義也を欲している。
 そのことに、堪らなく心が揺らいでいる。
『キスして』
『俺のこと、可愛がって』
『いい子にするから』
『だから……』
 そんな言葉を口にしてしまいそうだった。
(……でも、そんなこと認めない、絶対に!)
 ゲイであることを受け入れることはできても、佐竹とヤりたがっているなんて、認められるわけがなかった。
(そんなの、絶対に厭だ……っ!)
 これは、断じて恋なんかじゃない。
 ただ救われたいだけだ。
 何の味も感じないこの絶望的な閉塞感から解放されて、満たされたいだけだ。
(媚びるくらいなら、殴られるほうがマシだ。泣き喚いて、死ぬまで痛めつけられるほうが……ずっとマシだ)




↓応援クリックお願いします。
にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
↑応援クリックお願いします。




■竹の子書房既刊情報 (須藤安寿 単著)
玉手箱●堕ちていく光景 (須藤安寿 著) ダウンロードはコチラ→
玉手箱●きみはぼくのもの(新装版) (須藤安寿 著) ダウンロードはコチラ→
NEW! 玉手箱●黒蜥蜴 (須藤安寿 著)ダウンロードはコチラ→

それぞれの作品は、以下の★からダウンロードしていただけます。
18禁です。
*PDFが直接開きます
*会員登録不要・0円ですので、御気軽に(^^)。

竹の子書房では電子書籍を続々配信中!
すべて会員登録不要・0円
竹の子書房の電子書籍はiphone、ipod touchにピッタリのサイズ。
(もちろんPCでもお楽しみいただけます)
通勤・通学のお供に、寝る前のちょっとした読書にも是非ご活用ください(^^)。

竹の子書房のサイトはコチラ→





→ BACK
→ NEXT
関連記事
スポンサーサイト

*    *    *

Information

Date:2011/04/01
Trackback:0
Comment:0
UserTag: BL小説  18禁  須藤安寿 
Thema:自作BL連載小説
Janre:小説・文学

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://anjusuto.blog69.fc2.com/tb.php/21-67fb5377
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)