安寿の本棚

□ 罪の書 青の記憶を綴って □

5 異端の祭壇

 サローが私を導いたのは修道院の裏手へ抜ける通路の途中にある、かつての厩の跡だった。
 この建造物が修道騎士団の本部であったころには多くの馬が繋がれていたのだろうが、すでに打ち捨てられ、廃墟としか見えぬ有様と成り果てていた。
 ザンクト・ホルストには厩に近づきたがる修道士などいなかった。不要な施設となっているからではなく、この土地と建造物を受け継いだ折に、清貧を重んじるザンクト・ホルスト修道会には不要であると判断された修道騎士団の遺物が取り除かれ、そこに収められたからだ。
 それは忌まわしい穢れとされていた。
 もちろん、修道騎士団の持ち物であったもののすべてが厩に収められているというわけではない。
 例えば聖遺物匣や金の燭台といったもの――神聖なものであるかどうかより、持ち出すことが容易で、後々、高い値で売りさばけるかどうかが判断の基準であったことは想像に難くない――は修道騎士団が去るときに持ち出し、残されたもののうち、めぼしい家具や調度品などもその後、無人であった数年の間に根こそぎ姿を消したのだという。当時この建造物の管理をしていた司教の指示で売り飛ばされたか、実際に管理に当たっていた者が無断で横流ししたか、あるいは盗人の仕業であったのかもしれないが、その詳細を知る手立ては私にはない。
 ともあれ、ザンクト・ホルスト修道会がここに修道院を開いたとき、荒れ果てた建造物の中はほとんどがらんどうに近いものだったようだ。
 が、それでもザンクト・ホルストの創始者たちは満足はしなかった。
 彼らは自らに与えられた修道院をより清貧という言葉に相応しい祈りと労働の場とするために、残されていた壁や天井の飾りを残らず剥ぎとり、聖者たちの像を封印し、美しい幾何学模様を描き出していた床の大理石も取り去ってこの厩に追いやったのだ。
 そして柱や窓枠など、取り去ることで建造物そのものを破壊しかねない装飾だけが、寒々としたザンクト・ホルストの光景にかつての修道騎士たちの亡霊のように取り残されることになった。
 私が幼いころから見つめていたのは……そういう光景だ。

 厩に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
 別に、入ってはならぬと禁じられていたわけではない。だが、それが何であれ、かつてこの地に君臨した修道騎士団に思いを馳せる言動はザンクト・ホルストの修道士に相応しくはないのだと言わんばかりの空気があったし、私はそうした空気に盲従することに安堵感を覚える子どもだった。
 今考えてみればサローがあの場所を選び、私をいざなったのは、そうした状況の何もかもを分かった上でのことだったのかもしれない。
 しかしその時の私は、そんなことになど考えは及ばなかった。ただそこが、修道院の中で人目を避けるのに絶好の場所だと感じていただけだ。

「こっちだ」

 ぐずぐずと厩の入り口近くで行ったり来たりを繰り返している私に、そう声がかけられた。
 厩の奥まった一角には修道騎士たちを象った躍動的な彫像がいくつも寄せ集められていた。大きさも素材も作風もまちまちで、およそ統一感には乏しかったが、彫像たちはどれも入り口に背を向けるように置かれていた。それは、あたかも最奥に転がされている獅子の頭部を象った彫刻に祈りを捧げる人々の群れであるかのように見えた。
 その獅子の頭部はおそらく、かつては修道院本館のエントランス正面に、狩りの獲物を誇るように飾られていたのだろう。
 床には獅子の頭だけでなく、柱の上部を飾っていたのだろう華麗な草花の彫刻の残骸がいくつも積み上げられていた。サローはその彫刻のひとつに無造作に腰を下ろして私を見つめていた。
 朽ちかけた鎧戸の隙間から漏れる細い光が、漂う細かな塵に反射してきらめきながらサローの顔に降り注いでいた。黒だとばかり思っていたサローの虹彩が、かすかに赤みを帯びた暗褐色であることに気づき、私はそのまなざしを向けられることにかすかな畏れを抱いていた。

「こんなところで何を……」

 声が震えていた。
 言葉は表面上は疑問形を装っていたが、サローが何を望んでいるのかはもう私には分かっていたのだ。
 私はサローのいる光景――それはまるで、異端の信仰に捧げられた邪悪な祭壇であるかのようだった――に、おそるおそる歩み寄っていった。
 差し伸べられた手を取り、促されるままにサローの膝のあいだ……埃だらけの床に膝をついて、サローが私を引き寄せて抱きしめるその動きに抗うことなく身を任せた。
 それは写字室で幾度となく味わった抱擁とはまったく違う、息苦しいほどの性急さと強引さだった。
 絵の具の染みがいくつもついた僧衣に隠されて、サローの下腹に欲望の証が硬く張りつめているのだと、私はその息苦しさの中で感じ取っていた。
 サローは恥じてなどおらず、隠そうともしなかった。
 むしろ腰をせり出して昂ぶりをぐいぐいと押し付け、その存在感で私を圧倒しようとしていたようでさえある。

 “ヤンはきっと、俺を受け入れる”

 そういう確信が、サローにはあったのだろう。
 サローが腕の力を緩めた。身をかがめて私の唇にくちづけすると、私が身につけていた僧衣や肌着を、ひとつずつ床へ落としていった。
 サローは私に何をしろとも言わず、私の意志や望みを問いただすような言葉をかけることも一切しなかった。
 私の肌を暴いていく行為そのものでサローは私に要求を伝え、サローの腕に自らを預け、なすがままになっていることで私は従うことを誓ったのだ。
 サローと私には、それだけで十分だった。
 下帯まですべてを取り去って一糸纏わぬ姿になった私を、サローはしばしのあいだ、ただ息を殺して見下ろしていた。
 だが私は視線を落として自分の体を検分することはできなかった。
 それは自己愛や自慰につながる行為であり、修道士は清拭を行うときや着替をするときでさえ全裸になることを避け(僧衣はすべてを脱ぎ去らなくてもそれらに支障がないよう工夫され、その手順も厳格に定められていた)、肌を人目にさらすことと同様に、自らの肉体に視線を注ぐことも断じて慎まねばならぬと教えられていた。
 私はサローからも視線を外して埃だらけの床と、そこに打ち捨てられているいくつもの花の彫刻を見つめていた。
 それでもサローが(そしてサローの背後にある修道騎士の彫像たちが)私の肌の上にそのまなざしを注いでいることは分かったし、そうして視線を浴びせかけられることで自らが昂揚しはじめているのだと悟っていた。
 サローはもう一度――先程よりもずっと深く――私の唇を吸うと、自らも衣服を脱いで立ち上がった。
 衣服に隠されて平素は目に触れることのない場所までが、すべて艶やかな褐色の肌に覆われていた。黒々とした茂みにふちどられた牡の昂ぶりは、同じ器官を持つ私でも気恥しさを覚えるほどに雄々しく天を仰ぎ、その先端はすでに濡れて淫らに光っていた。
 そのとき、腕を掴まれたのか、抱き上げられたのかははっきりとは覚えていない。まるで真夏の暑気にのぼせるようにサローの裸体の美しさに目を奪われていたせいだ。
 何が起こったのか分からぬままに私は獅子の頭部の方へ追いやられ、咆哮する獅子の口を跨ぐことを強いられていた。

「あっ……ううっ」

 堪えきれずに私はうめき声を上げた。
 獅子の口に並ぶ鋭い牙が容赦なく私の劣情を苛んでいた。冷たい大理石の感触が体温を奪っていく。私は獅子に秘所を喰われ、魂を吸い取らていくような心地だった。
 足は床についておらず、足がかりとなるものも何もなかったから、苦痛から逃れるには内腿に力をこめて獅子の鼻面を締め上げ、尻を振り立ててもがくしかなかった。
 激しい苦痛と羞恥で、涙が滲んでくる。
 勃ち上がりかけていた私の牡はすっかり力を失い、獅子の口中にだらりと落ち込んでいた。
 だがそれと同時に堪らなく甘美な震えが下腹の奥底から溢れ出て、全身をわななかせた。私はそれまで自らの内に存在しているとも気づいていなかった奥深い場所の存在が熱っぽく疼くのを感じとり、これからサローにその場所を征服されようとしているのだと悟った。
 私がこれほどに昂揚しているのは、その瞬間を欲しているからなのだ。
 そのことも私は唐突に理解した。サローが私を貫き、私の体で悦楽を得ることを、私は餓えや渇きを癒すように待ち望んでいた。
 そしてサローがその相手として私を選んでくれたことが、誇らしかった。
 サローは決してそれを言葉では伝えてくれなかったが、私には十分に伝わっていた。森に存在する無数の松ぼっくりの中からもっとも美しいひとつを選んで私への贈り物としてくれたように、サローはこの異端の祭壇への捧げ物として――ただ肉の欲を鎮めるための女の代役としてではなく――私を選んだのだ、と。
 いや、言葉でなかったからこそ、あれほど自然に私の内に染み渡ったのかもしれない。

 写字室では写本製作の作業は祈りと等しいものだと考えられ、ただ無心に作業に向かうために沈黙を守るよう定められていた。修道士同士が最低限の意思の疎通を行う必要があるときも手話が用いられていたほどだった。
 サローと私のふたりだけになった写字室では、もはやそんな規則は意味をなさなくなっていたが、それでもサローと私のあいだには会話と呼べるものはあまりなかったように思う。
 サローも私も、会話は得意ではなかった。
 かじかんだ指先を暖めあう吐息や抱擁の方が、言葉よりよほど雄弁だった。その吐息や抱擁を通して私はサローの愛を知り、サローの愛に応える術を学んだ。
 男同士の性愛について、何かを語り合ったということはない。本来あるべき男女の行為になぞらえて役割分担を割り振ることも私たちはしなかった。
 そんな必要などなかった。
 互いを性愛の対象として意識するはるか以前から、私がサローにとってどんな存在であるべきなのかを知っていたのだから。
 サローが与え、私が応える。
 常に主導権はサローの手にあり、その立場が逆転することなどありえなかった。

 あの時も。
 そして……今も。




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Date:2011/05/27
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UserTag: 須藤安寿  18禁  BL小説 
Thema:自作BL連載小説
Janre:小説・文学

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