安寿の本棚

□ 罪の書 青の記憶を綴って □

6 バベル崩壊

 厩の天井に向けて咆哮するように打ち捨てられた獅子の口を跨いだまま、どれほど放置されていたのかは覚えていない。
 朽ちた鎧戸の隙間から漏れる光の帯はすでにまばゆさを失って弱々しいものになり、厩の暗闇に同化して消えて行こうとしていた。
 背後にサローがいるのだと分かっていたけれど、私は振り返るのがおそろしかった。
 振り返ればサローだけでなく、呪術によって石にされた亡霊のような修道騎士たちの姿を見ずにはいられまい。そうなれば、まるで彼らに見せつけるように全裸で尻を突き出している自分の姿を、より鮮明に――そして、より屈辱的に――実感することになるのだと分かっていた。
 獅子の頭を取り巻く豪奢なたてがみは、床を這うように拡がって、私の脚を決して閉じさせようとはしない。私は衣服を脱ぎ去っただけでは決して人目にさらすことなどない最奥の部位までを冷たい空気にさらして、不安定な体勢のままじっとサローの動きを待っていた。
 私はサローはもっと性急に私を貪るだろうと思っていたし、そのことを望んでもいたのだと思う。
 あのときの心地を、ありのままに表現する言葉は見つからない。
 私は確かにそれを屈辱と感じていた。
 修道士であること。男という性に生まれついたこと――私はそういう範疇に区分されるべき存在であるはずだ――。それを考えたときに今、自分の私の身に起こっていることのすべては忌避しなければならない事態だった。私はそれらに背を向けてサローと性愛の悦びを分かち合う関係に堕ちていくことを受け入れようとしていたが、だからといって一方的な辱めを望んでいたわけではない。
 それなのに、抗うことなど思いつきもしなかった。
 心臓を絞り上げられるような苦しさを感じていたのに、それは修道院の施療所で調合される苦い薬をはちみつと一緒に飲み込むときのように、粘りつく甘さを伴ってあとをひいた。漂うようにその苦痛に身を委ねていれば、そのうちに苦痛が消え去って甘さだけを味わえるのではないかと心のどこかが期待していた。あるいは、苦痛そのものに舌も意識もすべてを蕩かせる甘さを見出せるのではないかという期待……。
 私は性愛の快楽を与えて欲しいとサローにねだることも、思いつかなかった。
 その時、私は十八の……修道院の外の世界など何も知らない無知な若造に過ぎず、快楽を戒める聖者たちの言葉だけが性愛についての知識のすべてだった。蛇に取り巻かれてアダムに林檎を差し出すイヴのむき出しの乳房や丸みを帯びた腰を描くサローを見るときの、胃の腑を焦がすような苦さが嫉妬によるものなのだと、かろうじて自覚していたに過ぎない。
 あなたの手で女のように可愛がられたいなどと、どうして言えただろう? 私の腰や、胸や、足のあいだの欲望の証をサローの手指が包み込み、愛撫する……その白と褐色の色彩の対照を疼くように求めているなどと、とても口にすることはできない。それを伝えるための言葉は、私がそれまでに暗誦し、書き綴ったどんな書物にも記されてはいなかった。
 私はそれまでもサローに自分から抱擁やくちづけを求めたことはない。ただサローを待ち、従うことが、私にできる最大限の愛の行為であるのだと感じていた。だから獅子の口を跨いで秘所をさらしているあいだもそれを実践し続けたのだ。
 その不自然な体勢を維持することは決して容易くはなかった。私は絶えず内腿に力を入れ直してびくびくと腰を上下させ、震える手で獅子のたてがみのを描き出す畝をつかんで状態を起こしていなければならなかった。腕の力を抜けば体はだらりと獅子の鼻面にうつ伏せ、頭が腰よりもずっと低い位置に垂れ下がってしまうだろう。

「ん……」

 堪えきれずに、唇を割ってそう声が漏れた。
 腕も足もがくがくと震えて、悲鳴を上げそうだった。獅子の口に並ぶ牙は、私が身をよじらせるたびに私の牡にぎりぎりと食い込んで、今にも噛みちぎってしまいそうだ。牙の感触が次第に大きくなり、まるで獅子がその口をゆっくりと閉じようとしているかのように口中の舌の形状までが伝わってくる。
 もちろん、彫像の獅子は口を動かしたりはしない。変化しているのは私の体の方なのだ。自らの淫らな肉体が厭わしく思えてならなかった。この無様な態をさらすことをどれだけ悦んでいるか、その牡の変化がまざまざと教えてくれる。

「あっ……あぁ……」

 一度声を出してしまうと、堪えているのはさらに困難になった。
 背後で、サローが動く気配が感じられた。
 私の腰に手を触れたときも、サローは何も言わなかった。サローのてのひらがそっと私の腰を撫で、尻の丸みをたどっていく。
 その手が目指す到達点がどこであるのかはもう私にも分かっていたけれど、サローの手はまるでその丸みを形作る骨格の仕組みを探求するかのように行ったり来たりを繰り返しているばかりで、なかなかその先へ進もうとしない。
 それがもどかしかった。
 その手を通して、サローの肉体のかすかな揺れが伝わってくる。触れているのがサローの左手なのだと、ぼんやりと理解し始めていた。そしてもう一方の手の動きがその揺れを生み出しているのだということも。
 次第に存在感を増して荒々しくなっていくサローの吐息に耳をそばだてる。美しい褐色の肉体が高まっていく欲望に彩られていく様を、目で見るときのように背中で感じ取っていた。
 サローが、私の腰を撫でながら自らの昂ぶりをしごいている……。
 それを見せぬために、サローは私にこんな姿勢を強いたのだろうか? それとも、私が屈辱に甘んじる姿を見て興奮を高めるために……?
 私がその答えを得るより早く、揺れがとまった。
 サローの体が私の下半身にぐっと押し付けられ、湿り気を帯びて熱く猛った欲望の証が、私の内腿に寄り添うように触れた。サローが息を詰まらせて低く喘ぎ、私の足のあいだに精をほとばしらせたのはその時だった。
 かすかに、嗤うような吐息がもれて私の背中をくすぐった。そしてその吐息が漏れた場所にくちづけるように、サローの体が私の背に重ねられる。
 けだるそうに私にもたれかかったまま、サローは己の欲望の残滓でぬめった私の内腿を探り始めた。

「ん……ふっぁ……」

 自分がそんな淫らな声を出していることが、信じられなかった。媚態を示すことなど誰からも教えられたことはなかったのに、それは私の体の奥底から湧き上がって、舌や唇を震わせた、
 私は自らの内側へと続く入口がサローの精を浴びてわなないているのだと知り、そこにサローの指が潜り込んでくる痛みを逃がすために身をよじらせている自分に驚愕した。腰や内股にじわりと汗が浮き、皮膚をさざめかせる感覚。私は知らず知らずのうちに自ら体を揺すり、火照った胸の突起を獅子の鼻面に擦りつけていた。
 精緻な筆致で聖者を描き続けたサローの指先が、内も外も欲望にまみれた私の後孔をえぐっていく。それは耐え難い痛みだった。サローが私に覆いかぶさって体重をかけているせいで獅子の牙はますます深く食い込み、私は前後から身を震わせる疼痛に挟み込まれていた。
 だが私は自らの身を苛む苦痛のすべてが愛しかった。
 痛みと快楽がその境界を失って混沌と渦巻き、獅子の口の中で張り詰めている牡の先端から、堪えきれぬ欲望がだらだらとこぼれ落ちた。私がひっそりと僧房で自らを慰めるときのように抑え込んだ快楽が一気に解き放たれることはなく、はっきりと頂点を極めることもできぬままだった。苦痛から絞り出されるように静かに、そして長く尾を引くように欲望が溢れていく。
 二本目の指がこじ入れられ、狭い入り口が否応なく押し広げられる。そこに三本目の指を入れると、サローはゆっくりとその指を前後させた。
 サローの下腹は私の足にぴったりと押しあてられたままだった。先程の欲望の迸りなどなかったかのように雄々しく漲っている。

「サロー……」

 小さく、震える声でそう呼びかける。それはほとんど快楽に喘ぐ吐息のような曖昧な発音だった。
 サローに何か言葉をかけて欲しかった。
 愛の囁きが欲しい。
 受胎告知の挿絵を描いたあの雄弁さを持って、サローの目に映る私の肉体と淫らな欲望とを語って欲しかった。お前の体に欲情し、征服したいのだと言って欲しい。
 だが言葉は何もないままだった。
 その代わり私のおねだりに応えるように、体内から指が取り除かれ、じんわりと痛痒く疼く窄まりにサローの昂ぶりが押しあてられる。
 サローの荒い吐息のそこかしこに飢えた凶暴さが滲んでくるのを感じ取って、私は肌の粟立つ心地だった。私を気遣うように腰に添えられていたてのひらさえ汗を帯びて、ぎりぎりと力が込められていく。
 サローはまさしくむき出しの欲望そのものとなっていた。もはや何ものもその行動を押しとどめることはできない。

「あぁ、あっ……サロー……何か言っ……」

 言いかけた私の口を、サローの手がふさぐ。
 言葉など何も望んではいないのだと、その行為が教えてくれた。
 その昂ぶりで私を貫き、激しく揺さぶって、サローは私の肉体と精神とが、どれほど淫らであるかを知らしめた。挿絵を描くサローを見つめながらイヴや聖母より私にその視線を注いでと無言でねだり続けた私の浅ましい欲望。冷たく凍える指先をサローのてのひらに預けたときに私の内を満たしていた甘美な陶酔。白と褐色の色が絡みあうその光景を見下ろして、私が欲しがり続けたもの。
 サローの行動は私の知るどんな言葉よりも的確に、そのすべてを知っていたのだと告げていた。
 イヴのように誘いながら、聖母のように無垢なままで欲望をこの身の内に注ぎ込またいと望んだ私の罪のすべてを……サローは知っていたのだ。

「……ああ」

 その果てしないほどの沈黙の末にサローはそう溜息のような声をもらした。私の中で頂点を極めるときに、サローはいつも私を包んでいた抱擁と同じように優しく私の背を撫でてくれた。
 私は溢れる涙を堪えきれぬほどに、その愛撫に悦びを感じていた。



「晩飯を食べはぐったな……」

 サローがそうつぶやいた。
 すでに獅子の彫像からは下ろされていたが、体の震えはいっこうに収まらなかった。私は痛みとも痺れともつかぬ感覚に全身を支配され、手足を投げ出したあられもない格好でサローの足のあいだに座り、朦朧とする意識で鐘の音を数えていた。終課(午後六時・夕食の時間)の鐘を聞いた覚えはないのに、それは晩課(午後九時・就寝の時間)を告げるものだった。
 サローの滑らかな肌の感触が心地良かった。このままずっとこうして、裸のまま抱き合っていたいという欲望が湧き上がってくる。

「行かなきゃ……」

 それでも私は起き上がらねばならないと思った。
 サローの気まぐれにはみんな馴れている。夕食に姿を現さなかったからと言って、いまさらいぶかしむ者などいないだろう。だが私はそうではなかった。写字室から無断で抜け出し、終課をすっぽかしただけで事態は充分に深刻だった。どこで何をしていたのだと詮索されることは避けられない。
 厩で睦み合っていたなどと知られれば、サローも私もどんな罰を受けることになるか分からなかった。

「そんな蕩けそうな顔でがたがた震えて、股のあいだに俺の匂いをぷんぷんさせたまま聖務日課に出ようっていうのか。たった今まで犯されて感じまくっていましたと白状するようなもんだぜ」

 サローはさもおかしいというようにそう言い捨てた。

「でも……」
「おまえは急ぎの仕事を言いつけられて写字室に籠っていることにでもなっているさ。院長はその辺は抜け目ないからな」
「え……?」

 私はそのサローの言葉に弾かれたように顔を上げた。
 だがすっかり闇に包まれた厩で、その表情をうかがい知ることはできなかった。

「ブランデルが死んだらしい。おまえは二、三日中にアデルバーデンに送られることになる。もうここに帰ってくることはないだろうから、好きなようにしろとありがたいお許しが出ている」
「ブランデル師が……亡くなった? でもなぜ院長がそんな……」

 そんな重要な話が、なぜ公式に発表される以前にサローにもたらされたのか分からなかった。ブランデル師は私に写字室での仕事を教えた修道士であり、設立当初に取り決められた約定に従ってザンクト・ホルストから大聖堂に派遣されている暗号筆記者だった。
 すでにブランデル師は五十を越す高齢であったはずだから、死の報せそのものにはそれほど心を動かされなかった。ブランデル師が亡くなれば代わりの暗号筆記者を派遣せねばならないことも分かっていたことだ。そしてザンクト・ホルストにはもはや私意外に暗号筆記者がいないことも……。

「院長は最初からそのつもりだったのさ。おまえを葡萄園に送らず俺のそばに置いたのも、俺たちがずっとあの写字室で放し飼いにされていたも……全部……」

 サローが異国の言葉をしゃべっているのではないかと思った。
 浴びせかけられる言葉の何もかもが、意味を汲み取ることのできないただの音のようにしか聞こえない。
 虚栄の気持ちから築き上げた塔が崩され、言葉を乱されて同胞との意思の疎通の術を失ったバベルの住人たちのように、私は自らの内で確かだと信じていたすべてを打ち砕かれたような気がした。
 私はその瞬間まで、他の子どもたちが次々に葡萄園に送られていくのを見送り、私が暗号筆記者となったことを、神のご加護か、己の才覚によるものなのだと信じ込んでいた。院長がサローの絵師としての才能を愛したように、私もまた暗号筆記者として何がしかの価値を見い出されているのだ、と。

『あの子を葡萄園に送らないでくれるか?』
『よかろう、ヤンはおまえにくれてやる。あの小僧の体でいくらでも愉しむがいい。だが、サロー、それと引き換えにおまえは異教の信仰を捨て、その生涯を神と、修道院と、そしてこの私に捧げるのだ。おまえが白い肌のキリストや聖母を描き続ける限り、ヤンには暗号筆記者としての地位を保障してやろう』

 その秘密の取引が院長とのあいだで結ばれたとき、サローは十六歳だったという。誓願を迫る院長に反抗し、サローが最も荒れていた時期だ。たびたび写字室を抜け出しては森へ入ったサローがそこで女と逢引をしているとも、市井の写本業者に誘われて逃げ出す算段をしているとも噂されていた。
 差し出された松ぼっくりを受け取って胸に抱いたあの日の光景が、ほの暗い暗がりに浮かぶともしびのように脳裏に浮かび上がってくる。

「何も聞かされていなかったのか、ヤン……? おまえは……」

 サローは続く言葉を飲み込んで私を抱擁したけれど、私は闇に溶けるサローの肌の色彩を見い出すこともできず、その体温に身をゆだねることもできずに身をこわばらせた。
 もはやその抱擁は何も語りかけてはくれなかった。
 愛ではなく悦楽でもなく、私は絶望に震えて嗚咽していた。




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Date:2011/05/29
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UserTag: 須藤安寿  18禁  BL小説 
Thema:自作BL連載小説
Janre:小説・文学

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