安寿の本棚

□ 罪の書 青の記憶を綴って □

8 大いなる死

 ジャン師が激しく咳き込まれ、その声で私は眠りから呼び覚まされた。
 すでに空は白み始めているのだろう。納屋の内部も完全な闇ではなくなっていた。夜明け前には起き出して出発の準備を整える心づもりだったのだが、馴れぬ旅の疲れですっかり眠り込んでしまったらしい。

「ああ……すまない」

 私が歩み寄って背をさすると、師はまだ苦しそうな呼吸のままにそう声をかけてくださった。僧衣の上からでも骨が数えられそうなほど痩せた師の背。てのひらに伝わってくる呼吸には、ぜろぜろと湿った響きがある。

「お戻りになられた方が良いのではありませんか。あるいは、二、三日この納屋を借りてお体を休められるとか……」

 差し出がましいと思いつつも、そう言わずにはいられなかった。
 こんな体調で旅をするなど、狂気の沙汰だ。アデルバーデンを離れてわずか一日で、師は十年も老いてしまわれたように見えた。
 私が馬をひいて進む速度では、ザンクト・ホルストまであと三日はかかる。老いと病に蝕まれた師のお体には致命的な距離だ。この先は人の住む家で宿を借りることもできなくなる。夜露にさらされて師はますます衰弱するに違いなかった。

「心配は無用だ。……まだ死にはせんよ」

 師はそう言って笑いをもらされたが、その吐息がまた咳に変わった。

「小さきジャンよ、難儀をかけるが、年寄りの最後のわがままと思うて見逃してくれぬか。アデルバーデンでは死にたくないのだ。私は罪の償いをせねばならぬ」

 そう言って苦しげな呼吸を飲み込んで、師はその表情にだけ、かすかに笑みを浮かべられた。

「こんなに苦しまねばならぬほどの罪をあなたが犯したなど、私には信じられません」

 私がそう言うと、師は何も答えず、ただ手を伸ばして子どもを励ますように私の髪を撫でられた。
 アデルバーデンにいた四年のあいだ、師はいつも私の身近にいてくださった。ブランデル師から何とか初歩だけを習い覚えた私のギリシア語が、大聖堂に積み上げられて放置されるままになっていた文献をようよう翻訳できるまでに上達したのは、ひとえに師のお陰だ。師は博識で話上手でもあった。私は師と過ごす時間の中でギリシア語の文法以上の知識を学び、修道院という閉ざされた世界の外にある途方もない広がりに思いを馳せた。
 視力をなくされて以降は、他の多くの年配の修道士たちに混じって修道院の中庭にある回廊で過ごされることが多かった。だがそこで恍惚の人となった老人たちに囲まれていても、師の明晰な頭脳はまったく衰えることはなく、深い思索の中でかえって冴え冴えと磨きこまれていたように感じられる。
 師は私の足音を聞き分けられ、いつも生命力に溢れた笑みを浮かべて私に声をかけてくださった。
 小さきジャン――と。
 そんな師に、償いなどという言葉はまったく不似合いだった。



「咳が聞こえたが、ご老人の具合が悪いのかね」

 猟師は納屋の様子を伺いに来て、私にそう声をかけた。
 朝食をとって下さいと言って、小さなパンの切れ端と湯を注いだ椀ふたつを差し出す。木の椀の中で湯はほとんど透明と見えたが、一方の椀から立ち上る湯気にはかすかに香りがあった。

「薬草を煮出したもので、味は頂けないが、咳に効くそうだ」
「お心遣いに感謝します」

 私はそう礼を言って、パンは辞し、椀だけを受け取った。触れずとも日が経って堅くなっているのだと分かる。こんな暮らしぶりで余分のパンがあるとも思えない。猟師の貧しい食卓からそれを奪うことはできなかった。
 四年前、道を逆にたどってアデルバーデンに向かっていたときも私はこの納屋に一夜の宿を借り、そのとき母屋から聞こえてくる赤子の泣き声を耳にしていた。無事に育っていれば、子どもは食べ盛りの年齢となっているはずだ。

「私はもう何年もこの咳と共に生きている。……年寄りによくある咳だ。おまえや家族に伝染する病ではないから安心するがいい。奥方に薬湯の礼を伝えてくれ。――ああ、温かみが染みるようだ」

 椀の湯に口をつけられて、師は静かにそう仰った。よほど苦いのか、少し眉をしかめられたが、猟師に向けられたのはいつも通りの笑みだった。
 猟師の表情がまだ警戒するようにこわばりつつも、師の笑みに釣られたように少し歪んだ。

「出かける前に、墓に祈りを捧げてやってくれないだろうか。短い祈りで構わない。あのときは……満足な弔いもしてやれなかったから」

 私たちが椀の温みを飲み干し、立ち上がるのをじっと見守り、猟師はそう心苦しそうに言った。
 猟師の言葉を聞いたとき、私は咄嗟に、亡くなったのは四年前に私が泣き声を聞いた赤子だろうか、とも思った。
 だが猟師が私と師を案内した家の裏手にあった墓は、もっと古いものだった。言われなければそれが墓であることも分からなかっただろう。土を丸く盛った上に一抱えほどの石が墓標として置かれている。猟師が自ら刻みつけたのであろう不恰好な十字架の印が苔生した石の表面にわずかに見出せた。
 私は目の見えぬ師に、墓の様子をそっと耳打ちして伝えた。

「誰が眠っているのだね」

 師がそう問いかけると、猟師はすすり泣くように、私のすべてです、と答えた。まだ幼かった一人息子が死にました。妻も老いた母も死んで、私だけがたったひとり生き残りました。まるで罪の告白をするような声だった。

「では、あの疫病の折に……?」

 師の言葉に、猟師が、ええ、と低く頷く。
 師は、私もあのときに大切な人を何人も失った……と静かに仰り、死者への祈りを唱えられた。
 気配に振り返ると母屋の扉が半ばほどまで開いてゆらゆらと風に揺られていた。その影から顔をのぞかせて、幼い子どもが私たちの方を見つめている。
 以前、赤子の泣き声を聞いただけだったときには、何の疑問も抱かずにそれが猟師の孫であろうと思ったのだが、おそらくもう少し込み入った事情があるのだろう。
 奥方に薬湯の礼を言ってくれと師が声をかけられたとき、猟師の表情は強ばっていた。あの表情は伝染性の病への警戒というだけではなかったのだ。師と共に祈りながらその子どもを見つめ、私はそう気づく。扉の影から私たちを見つめている子どもの黒い肌と縮れた髪がすべてを物語っていた。
 サローの褐色の肌よりなお深い、夜の闇のような色合い。
 アデルバーデンの街にもわずかながら肌の色の違う異国の人々が住んでいるのだと聞いたことがある。私は四年のあいだ、ほとんど大聖堂付属の修道院から出ることなく過ごし、街の様子には疎かったが、大聖堂を訪れる貴族や裕福な商人が黒い肌の召使いを連れているのを見かけたことは数度ある。
 だがもちろん、森に住む貧しい猟師の家に召使いなどいるわけはない。
 猟師はあの子どもを息子とは呼んでいないのだろうか。かつては家族と暮らした家に、決して表立って妻とは呼べぬ異教徒の女性を引き入れたことを、己の罪と恥じているのだろうか。
 だとすれば猟師はその禁じられた関係に、何を見出しているのだろう。それもまた愛と呼ばれるものなのか、それとも性の充足に過ぎぬものか……。
 死者への祈りを口にしながら、私は胸を締め付けられるような思いだった。



「おまえの年齢では、あの疫病のことを記憶してはおらぬかな」

 出立し、猟師の家から充分に離れてから、ジャン師が仰った。はっきりと年代や病名を言われなくとも、それが大いなる死と呼ばれた二十年前の疫病であると判断できた。
 師が仰るように私は当時三歳にもならぬ幼子で、自分や周囲に起こったその厄災そのものを記憶に留めてはいない。だが、自分とは無縁の歴史のひとつと思えるほどに遠い過去の話ではなかった。私はその疫病によって大きく運命を変えられ、厄災を生き延びた修道士たちに育てられたのだから。
 その疫病の話をするとき、人々の口調は一様に重くなる。まるでその言葉に今も病の害毒が潜んでいるかのようにその名を避け、〈あの疫病〉と言葉を濁すのが常だった。

「……何も覚えておりませんが、私はその折に家族を失ったそうです。ザンクト・ホルストの修道士に保護され、以後はそこで育ちました」

 これまでには問われたことなどなかったし、自分から話そうと思ったこともなかった身上を、私はぽつぽつと語った。
 アデルバーデンでは人間ばかりか家畜や野の獣まで、生命あるものの半数が死に絶えたと言われているが、数十の世帯が寄り添って形成された小規模な集落が点在するザンクト・ホルスト修道院周辺では状況はもっと深刻だった。住人のほとんどが死に、わずかに生き延びた住人たちも家を捨てて逃げ出し、以来、無人となってしまった集落もある。
 私もまた、そうした集落のひとつで保護された。
 あたりは死者と瀕死の病人ばかりで、ろくに喋ることもできない幼児の名を確認する手立てもなかったのだという。
 私をヤンと名付けたのは、おそらく私の母親であろう死んだ女の手から私を取り上げたザンクト・ホルストの修道士で、彼は残っていた住人のすべてが息を引き取るまでそこにとどまって世話を続けたそうだ。
 その集落で最後に息を引き取ったのは私の名付け親の修道士だった。
 幼児が両親を失い、他に養育すべき親族もいなければ孤児院へ送られるのが通例だったが、私が保護されたとき、孤児院はすでに疫病によって天涯孤独の身の上となった子どもたちで溢れかえっていた。
 私を含めて七歳以下の男児十二人がザンクト・ホルスト修道院で養育されることになったのは、そうした経緯によるものだった。それと引き換えに壊滅した集落に遺された財産はすべて修道院に召し上げられたのだが、残されていたのは痩せ衰えた家畜とわずかな農具だけだったというから、十二人もの子どもを養う代償としてはあまりにもささやかな遺産だったろう。
 ザンクト・ホルスト修道院でも三十名を超える修道士と、多くの農奴が死んだ。
 保護されていた子どもたちが次々と葡萄園に送り込まれたのも、写本工房がその存続さえ危ういほどに縮小されたのも、疫病によって深刻な人手不足に陥ったせいだった。葡萄園の収穫に必要な人手を確保するために小麦畑の大半は放棄され、修道院の食料を何とか確保できる量の小麦しか栽培されなくなった。荒れ果てた畑は、私が物心ついたころにはすでに森に飲み込まれようとしていた。
 子どもたちは日中は写字室で行儀よく座っているように言いつけられ、ブランデル師が綴りを教えてくださっただけでなく、老いた修道士が交代で子どもたちの世話をするために付き添った。
 熱心に勉強せねば、葡萄園へ送られるぞ。
 ブランデル師はよくそう言って私たちをお叱りになったが、効き目はあまりなかったように思う。年長の子どもたちは厳格な修道院での生活に馴染まず、ほとんどの者が暗号の筆記どころか、初歩のラテン語さえ身につけることなく葡萄園へ送られた。
 ただでさえ人手が足りずに過剰な労働を強いられていた葡萄園での生活は、わずか十歳の子どもにとって苛酷であったに違いない。肉体労働に従事していても食事は薄切りのパンと水だけだった。写字室から連れ出された子どもたちはひと月と経たないうちにげっそりと痩せ細った。葡萄の蔓に生気を吸い取られたかのように項垂れてよろめきながら歩いている姿は、十歳の子どもというより老いさらばえた野良犬のようだった。夏は長時間直射日光にさらされて顔が赤く腫れ上がるほどに日焼けし、冬はあかぎれのために血の滲む手指に幾重にも包帯を巻いていた痛々しさ。誓願の年齢に達するより前に衰弱のあまり死んだ者もいる。
 私が必死になって綴りを覚えたのはそんな彼らの姿を見ていたからだ。
 ――私は葡萄園を、煉獄の園であるかのように恐れていた。

「十二人もの子どもが写字室に溢れかえっていたとは、さぞ見ものであったろうな。ブランデルも難儀しただろう」

 私の言葉が途切れても、しばしのあいだジャン師はお待ちになっていたようだ。だがもはや続きはないと判断されたのだろう。そう言って、暗い話題に終止符を打つように笑みを漏らされた。

「ブランデル師は大変根気強い教師でいらっしゃいました」

 慌ててそう言葉をつなぐ。
 ジャン師がブランデル師のことを話されたのは初めてのことだった。私はそのことにかすかな違和感を覚えていた。
 考えてみればブランデル師は生涯の最後の六年間をアデルバーデンで過ごされたのだし、そのころまだジャン師は視力を完全に失ってはおられず、文書係修道士としてブランデル師とはそこそこに近しいお立場にあった。共にギリシア語を……とりわけ万学の祖アリストテレスを愛されたおふたりが深い交流を持たれていたことを推測するのは難しいことではなかったはずだ。
 だが私はそのときまで、その可能性を考えたことさえなかった。
 ただ単に私が無頓着であったせいでは……ないだろう(そう思いたい)。ジャン師は意図的に、私の前でブランデル師の名を口にすることを避けていらしたのだ。

「写字室には若い……というより、年長の子どもたちとあまり年の変わらぬ絵師がおりました。もっとも災難を被っていたのは彼でしょう。ブランデル師よりずっと気が短く、子どもたちが言い争いや小突き合いを始めたときに怒鳴りつけるのは彼の役目でした」

 ジャン師はサローのこともブランデル師から聞いておられるかもしれない。そう思いつつも私はその名を口にすることができなかった。

「おまえもそういう子どものひとりだったのかね?」
「私は言い争いが始まると怖くなって机の下に逃げ込んでしまうような子どもでした。一番幼くて、喧嘩の相手としても物足りなかったのでしょう。活発な子どもたちばかりでしたが弱い者いじめをするわけではなく、むしろ私は皆に庇ってもらってばかりでした」
「はっは、目に浮かぶようだな」

 その日は、そんな他愛もない話をしながら進んだ。
 師が何かを言い出せずにおられるのだと気づいたが、私にはどう水を向けるべきなのか見当もつかなかった。ブランデル師のことを語りたがっていらっしゃるようにも感じられたし、ブランデル師から私やサローのことを聞き及んでおられ、そのことを問い質そうとしていらっしゃるようにも感じられた。
 おまえの罪を知っているぞ。
 私は師の口からその言葉が飛び出てるのではないかとびくびくしていた。
 アデルバーデンに旅立たれるとき、ブランデル師は、まだ十二歳の年若い暗号筆記者をひとり残して行かねばならないことをひどく心配しておられた。

『一心に綴るのだ、ヤン。祈るように。毎日暗号を綴り、ギリシア語を学ぶのだ。他のことに心を囚われずに、ただ綴る文字だけを見つめなさい。悪魔の誘惑に負ければ、おまえの恐れる葡萄園よりも、もっと苛酷な煉獄に堕ちることになるだろうから』

 ブランデル師が言い残したその言葉を、当時の私は熱心に勉強をしなさいという意味だと思っていた。だがおそらくブランデル師はそのときすでに予感しておられたのだろう。写字室にふたりきりとなったとき、サローと私のあいだに芽生えるだろう感情。そしてやがて犯すだろう罪のことさえも……。
 ヤンを葡萄園にやらないでくれとサローが院長に直訴し、私を写字室に残す決定がなされたとき、ブランデル師がその取引の埒外にいらしたとは思えない。ブランデル師は自らの後継者を育てなければならないと焦っていらした。私が写字室に来る以前にブランデル師が教えておられた若い暗号筆記者もまた、大いなる死と呼ばれた疫病によってこの世を去っていたからだ。



 大いなる死は、あらゆる人々から一切合切を奪っていった。あの時代を生き延びた人々がその名を口にすることさえ忌み、頭を垂れて過去を語るのは、死者を悼む気持ちからなのだろう。
 だが私は、そうした暗い闇の部分を何も記憶してはいなかった。
 私はあの厄災によって大きく運命を変えられ、ヤンという新たな名を与えられた。深い信仰とパンを与えられ、日当たりの良い机と蝋の写字板と鉄筆を、ラテン語とギリシア語と、ハレルヤの暗号を与えられた。
 それらはすべて数えきれない屍の上の役得だった。誰にも誇ることのできない忌まわしい由来を持つ財産。私の両親と、名付け親となった修道士、僅かな家財道具と家畜を残して死んでいった集落の人々、あの猟師の家族、ジャン師の大切な人々と、ブランデル師の優秀な後継者であった修道士、そして私が名を知ることもないだろう多くの人々……世界から生命の半分を奪ったといわれる大いなる死が、その無数の屍と引き換えに私に与えてくれたものだ。
 何事もなく森の中の貧しい集落で小作人のせがれとして育っていれば、私は十歳になるよりも早くから父親と共に肉体労働に従事していただろう。自分の名前さえ綴れぬままに、来る日も来る日も夏の暑さと冬の寒さにさらされ、何度すすいでも決して汚れの落ちることのない自分の黒い爪を見つめ、関節の痛みに耐えながら生きることになっていたに違いない。
 そして、サローに出会うこともなかっただろう。
 自分の名前さえ記憶できないほどの幼さであったのに、私は初めて写字室に連れて行かれたときのことは覚えている。
 それまで目にしたことのない不思議な色合いの肌の少年を恐る恐る見上げたときのこと。そのとき、サローが何を描いていたのかは覚えていないが、その美しさに震えた心地は今もはっきりと思い出すことができる。青金石の青と眩いほどの金箔の輝きをそっと撫でた褐色の指先、そして形の良い爪の形まで……。

 私はそのときに初めて天上の美を知ったのだ。




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Date:2011/06/01
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UserTag: 須藤安寿  18禁  BL小説 
Thema:自作BL連載小説
Janre:小説・文学

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